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21世紀生涯スポーツ社会づくりの提言
医科学的な面からの「健康的な体力づくりについて」
障害者スポーツ
府民スポーツレクリエーションフェスティバル
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モッピー指導者会
モッピークラブ
おおさかスポーツコンベンション
21世紀生涯スポーツ社会づくりへの提言
ベルリン五輪は
遠くになりにけり
毎日新聞社
編集委員 玉置 通夫
 戦前のベルリン五輪(1936年)で男子200メートル平泳ぎを制した葉室鐵夫さんが、10月30日、急逝した。88歳、プールで泳いだ後、腹痛を訴え、入院して数時間後の出来事だった。葉室さんの死で、日本の戦前の金メダリストは全て鬼籍に入った。水泳や陸上で金メダルを量産したベルリンの栄光も、完全に歴史上の出来事となった。
 葉室さんは、戦後の1946年、西日本新聞(福岡市)から毎日新聞大阪本社に転じ、運動部で健筆を揮った。大阪府高石市に居を構え、陸上の南部忠平、村社講平ら往年のオリンピック選手とともに、関西のスポーツ文化を支えてきたといっても過言ではない。当然のことではあるが、水泳記者としての名声は高く、一家言持ったうるさ型の多い東京の記者からも、「大阪に葉室あり」と畏敬の念を抱かれていた。まさに、関西運動記者クラブの重鎮で、まだまだ健在ぶりを示して欲しかったと思う。
 葉室さんは、大のビール好き。毎月、スポーツ界以外の人も交えた定例会を主宰しており、その会合は、スポーツ文化の華といってもよいぐらい、活力と明かるさに満ちたものだった。とくに、ベルリン五輪の思い出になると、まるで昨日の出来事のように記憶鮮明、ビデオテープでも見ているようだった。「ヒトラーは2回見たよ。神経質そうだったな」「開会式に飛行船のツェペリン号が飛んできてね、競技場が陰になって暗くなった」といった話は、当事者でなければわからない実感がこめられており、さらに突っ込んだ質問をしても、きっちりと答えてくれた。
 葉室さんの話で面白かったのは、女子200メートル平泳ぎで前畑秀子選手が優勝したレースをテレビで見たという事実だ。テレビは、ベルリン五輪の年にロンドンで実用化された。ヒトラーが黙っているはずはなく、ドイツの威信にかけてテレビを実用化して、オリンピックに間に合わせたようだ。葉室さんは選手村のテレビを見たそうだが、現在と比べると不鮮明で、前畑選手が勝ったのかどうか判然としなかったという。しかし、実況を聞いていたドイツ人が「よかったな」と握手を求めてきたので、初めて金メダルを確認した、と語っていた。日本でも、4年後の東京五輪(1940年)でテレビ実況中継を計画していただけに、テレビ時代の幕開けを体験した貴重な証言といえるだろう。もっと、色々な話を聞いておきたかった。
vol.20