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21世紀生涯スポーツ社会づくりの提言
医科学的な面からの「健康的な体力づくりについて」
障害者スポーツ
なみはやスポーツネット
スポーツリーダーバンク
ジュニアフィールドテスト
広域スポーツセンター
大阪府レクリエーション協会
地域生涯スポーツ推進協議会
2005府民スポーツ・レクリエーション発表交流会
21世紀生涯スポーツ社会づくりへの提言
スポーツ文化は
関西の財産
毎日新聞社
編集委員 玉置 通夫
 なぜ、高校野球の全国大会は、甲子園で行われるのか。こんな質問を、何回か受けたことがある。甲子園があるからだと答えると、東京ドームや神宮球場でも大会を開けるはずだ、と“追及”されてしまった。
 なぜ、高校野球の全国大会は甲子園でしか開催されないのか、という素朴な問いかけは、関西のスポーツ文化を考えるうえで重要なヒントとなる。明治時代末期から発達した関西の私鉄は、大正時代に地歩を固め、沿線の施設を利用したスポーツ事業や住宅開発を“栄養”として行った。その中で、触媒的な役割を果たしたのが、新聞社の存在だった。全国紙として覇を競い合った朝日、毎日両新聞社のライバル意識は、スポーツ事業という独特の文化を生み出し、関西スポーツ界の求心力ともなった。
 その典型が、甲子園球場の誕生だった。中等野球は大正4年、関西初の本格的な陸上競技場として建設された豊中運動場のトラック内にあるフィールドで始まった。豊中での大会は2年で終わったが、高校ラグビーの前身の中学校ラグビー・フートボール大会も、このグラウンドで生まれている。
 中等野球は、大正6年から阪神電鉄沿線の鳴尾運動場に移る。箕面有馬鉄道(現阪急電鉄)が改修を渋ったため、ライバルの阪神電鉄が大会誘致に成功したと伝えられている。ここでもトラック内のフィールドを利用したが、神戸一中(現神戸高校)や甲陽中(現甲陽学院)などの関西勢が優勝して大会を盛り上げ、中等野球人気に火をつけた。結局、押しかける観衆をさばききれず、甲子園球場が建設され、大正14年から春夏の大会の舞台となって定着した。
 さらに、明治時代から昭和10年ごろまでの間に、スポーツ界の指導的地位を占める人たちが、次々と関西に赴任してきたことで、関西スポーツ界に大きな弾みがついた。木下東作(大阪医専教授=後に毎日新聞運動部長)を始め、春日弘(住友本社=後に日本陸連会長)、東口真平(朝日新聞=後に編集局長)、西尾守一(毎日新聞=後に運動課長)、人見絹枝、南部忠平(ともに毎日新聞)、織田幹雄(朝日新聞)といった人たちで、1928(昭和3)年のアムステルダム五輪では織田が金メダル、人見が銀メダル、1932(同7)年のロサンゼルス五輪で南部が金メダルに輝く活躍を見せ、関西スポーツ界の活性化、発展に大きな功績を残している。関西には、スポーツ文化の輝かしい歴史があることを、決して忘れてはならない。
vol.19